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さてさて、春分の日旅行のお話の続きです。

白糸の滝を出た後、その日の夜中、山口県は雨も風も激しく、嵐のような天気。

だけど、翌日の春分の日のお空は~~~~

2010.3.20 春分の日のお陽さま

お陽さま 晴れ ありがとう ニコニコ

この日は、宿泊した長門市から、島根半島の西にある、出雲大社の祖神(おやがみ)さまと言われている
日御碕神社まで行く予定。

だけど、その前に、長門市といえば、忘れちゃならない

幻の童謡詩人 金子みすずさん。

まず、朝一番に、金子みすず記念館に行きました。
金子みすずさんは、大正末期の童謡詩人。
20歳の頃から、自作の童謡を雑誌に投稿しては全てに掲載され、
「童謡」の選者、西條八十さんに「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛され、将来を期待されていました。
しかし、みすずさんが23歳のときに結婚した夫は、女遊びが激しく、
それでいてみすずさんが文学界で活躍することをおもしろく思わず、
みすずさんに童謡を雑誌に投稿することも、
文学仲間との交流も文通さえも禁じて、みすずさんを精神的に追いつめていったそうです。

そんな中、みすずさんは、女の子(ふさえちゃん)を授かります。
夫に詩を作る事を禁じられていたみすずさんは、
3歳になったばかりのふうちゃんが話す言葉を集めた日記「南京玉」を残します。

金子みすゞ南京玉―娘ふさえ・三歳の言葉の記録金子みすゞ南京玉―娘ふさえ・三歳の言葉の記録
(2003/04)
金子 みすゞ上村 ふさえ

商品詳細を見る


その後、ふうちゃんを連れてみすずさんは夫のもとを飛び出し、
実家の金子文瑛堂(本屋さん)に帰るのですが、
当時の日本は、離婚をしても母親が簡単には子の親権がとれない時代だったそうです。

夫は、みすずさんに「ふさえを迎えに行く」という手紙を出しました。

夫が、ふうちゃんを連れに来るという前の日
みすずさんは、写真館に行って写真を撮り、
その夜は、ふうちゃんをゆっくりとお風呂に入れて、童謡を沢山唄ってあげて
ふうちゃんを寝かしつけたそうです。
そして、ふうちゃんの寝顔を見て、
「可愛い顔して寝とるねぇ~」と言う最後の言葉を残して自分の部屋に行き、
服毒自殺をしました。

みすずさんは、夫に対し、

「あなたがふうちゃんを連れて行くというのなら、仕方がないでしょう。
けれども、私は、ふうちゃんを心の豊かな子に育てたいのです。
私は、私を育ててくれた(みすずの)母に、ふうちゃんを育ててもらいたいのです。
あなたがふうちゃんに与えられるのは、お金だけで、心の糧ではありません。」


という内容の遺書を残します。

この命を懸けた申し入れによって、
みすずさんの遺志通り、
一人娘のふさえさんは、みすずさんの母によって育てられます。


この話を、私はかれこれ10年ほど前に、何かの雑誌に掲載されているのを目にしたのですが、
もう読みながら涙が止まらなくて・・・・

数年前に、この話がドラマ化されたときにも
金子みすずさんは大好きなのに、哀しすぎて見られない・・・ので、見ませんでした。。。。。

けれども、ある日、ふと夜中にラジオをつけて、
ふさえさんが、母のみすずさんについて話しているのを耳にしました。
ふうちゃんは、
お母さんがふさえさんにあてた遺書を中学生の頃(だったかな?)目にしたそうです。
手紙の現物は、火事でなくしてしまったそうですが、
それを読んだ時、ふさえさんは、
「母はどうして自分を連れて死んでくれなかったのか?自分は母にとっていらない子だったんじゃないか?」
と、随分悩んだ、というようなことを話しておられました。

だけど、自分が子供を持ったときに
「あ~、母はあの時代に既に自立した女性だったから、
私のことを一人の人間として、自立した人間として命を大切にしてくれたんだ。
そして、その私は、子供を生んで、母が繋いでくれた命を、次につなぐことができた。
母に対して、ありがとう、という気持ちになった。」

と、お母さんのみすずさんに対する気持ちの変化を語っていらっしゃいました。

そして、金子みすず記念館では、
ふさえさんの別のインタビュー映像がながれていたのですが、
その中で、ふさえさんは
自分の片言がつづられた「南京玉」について、

「最近になって、読みあわせをしてみましょう」という話になって、声に出して読んでみて、
それまで、ただ自分が勝手にしゃべっていることを母(みすず)が、どんどん書き留めたものだ、と思っていたのだけれど、
読みあわせをしてみると、母(みすず)が幼い私に色々と話しかけるから、私が答えて話しているんだ、ということが、
声に出して読んでみて、はじめて解りました」
と、

笑顔で話していらっしゃるのを見ました ニコニコ


私が子を持つ身だから・・・・なのかもしれませんが、
子供の人生の岐路を自分の命をかけて守ったみすずさんと、
その後、色んな思いや疑問を胸に抱えながらも、
自分の体験を通じて、お母さんの愛情に気付いてゆかれるふさえさんのお話に、
どうしても涙が止まらないのですよ。。。

そんなわけで、
金子みすず記念館でも、たっぷり泣いてきました。。。。

母の愛、肉親の愛は、
本当はいつでも傍にあって、気付く瞬間を待っていて、
その瞬間がくれば、いつでも時空を越えて分かり合えるのかもしれないな、
と、
そう思います。


金子みすずさんの最期のお話は、とても哀しいのですが、
彼女の詩は、とても素直で軽やかで深いものが多いです。

私が好きな詩は こちら

わたしと小鳥とすずと

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。



金子文英堂にあった招き猫 にゃぁ~
みすずさんのご実家の書店にいた招き猫

みすずさんのお部屋(再現)
金子みすずさんのお部屋(再現)

写真に撮るとみすずさんの顔が浮かび上がる不思議な壁(肉眼で見ても見えないんですよ)
写真を撮ると浮かび上がる~










メルローザ ロゴ3

メルローザの大阪ワークショップ音譜
ワークの流れは、こちらの最後にあります。
興味のある方は、どうぞ。
ご予約は こちらの記事 へどうぞ 


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金子みすずさんは、大正末期の童謡詩人。
20歳の頃から、自作の童謡を雑誌に投稿しては全てに掲載され、
「童謡」の選者、西條八十さんに「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛され、将来を期待されていました。
しかし、みすずさんが23歳のときに結婚した夫は、女遊びが激しく、
それでいてみすずさんが文学界で活躍することをおもしろく思わず、
みすずさんに童謡を雑誌に投稿することも、
文学仲間との交流も文通さえも禁じて、みすずさんを精神的に追いつめていったそうです。

そんな中、みすずさんは、女の子(ふさえちゃん)を授かります。
夫に詩を作る事を禁じられていたみすずさんは、
3歳になったばかりのふうちゃんが話す言葉を集めた日記「南京玉」を残します。

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(2003/04)
金子 みすゞ上村 ふさえ

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その後、ふうちゃんを連れてみすずさんは夫のもとを飛び出し、
実家の金子文瑛堂(本屋さん)に帰るのですが、
当時の日本は、離婚をしても母親が簡単には子の親権がとれない時代だったそうです。

夫は、みすずさんに「ふさえを迎えに行く」という手紙を出しました。

夫が、ふうちゃんを連れに来るという前の日
みすずさんは、写真館に行って写真を撮り、
その夜は、ふうちゃんをゆっくりとお風呂に入れて、童謡を沢山唄ってあげて
ふうちゃんを寝かしつけたそうです。
そして、ふうちゃんの寝顔を見て、
「可愛い顔して寝とるねぇ~」と言う最後の言葉を残して自分の部屋に行き、
服毒自殺をしました。

みすずさんは、夫に対し、

「あなたがふうちゃんを連れて行くというのなら、仕方がないでしょう。
けれども、私は、ふうちゃんを心の豊かな子に育てたいのです。
私は、私を育ててくれた(みすずの)母に、ふうちゃんを育ててもらいたいのです。
あなたがふうちゃんに与えられるのは、お金だけで、心の糧ではありません。」


という内容の遺書を残します。

この命を懸けた申し入れによって、
みすずさんの遺志通り、
一人娘のふさえさんは、みすずさんの母によって育てられます。


この話を、私はかれこれ10年ほど前に、何かの雑誌に掲載されているのを目にしたのですが、
もう読みながら涙が止まらなくて・・・・

数年前に、この話がドラマ化されたときにも
金子みすずさんは大好きなのに、哀しすぎて見られない・・・ので、見ませんでした。。。。。

けれども、ある日、ふと夜中にラジオをつけて、
ふさえさんが、母のみすずさんについて話しているのを耳にしました。
ふうちゃんは、
お母さんがふさえさんにあてた遺書を中学生の頃(だったかな?)目にしたそうです。
手紙の現物は、火事でなくしてしまったそうですが、
それを読んだ時、ふさえさんは、
「母はどうして自分を連れて死んでくれなかったのか?自分は母にとっていらない子だったんじゃないか?」
と、随分悩んだ、というようなことを話しておられました。

だけど、自分が子供を持ったときに
「あ~、母はあの時代に既に自立した女性だったから、
私のことを一人の人間として、自立した人間として命を大切にしてくれたんだ。
そして、その私は、子供を生んで、母が繋いでくれた命を、次につなぐことができた。
母に対して、ありがとう、という気持ちになった。」

と、お母さんのみすずさんに対する気持ちの変化を語っていらっしゃいました。

そして、金子みすず記念館では、
ふさえさんの別のインタビュー映像がながれていたのですが、
その中で、ふさえさんは
自分の片言がつづられた「南京玉」について、

「最近になって、読みあわせをしてみましょう」という話になって、声に出して読んでみて、
それまで、ただ自分が勝手にしゃべっていることを母(みすず)が、どんどん書き留めたものだ、と思っていたのだけれど、
読みあわせをしてみると、母(みすず)が幼い私に色々と話しかけるから、私が答えて話しているんだ、ということが、
声に出して読んでみて、はじめて解りました」
と、

笑顔で話していらっしゃるのを見ました ニコニコ


私が子を持つ身だから・・・・なのかもしれませんが、
子供の人生の岐路を自分の命をかけて守ったみすずさんと、
その後、色んな思いや疑問を胸に抱えながらも、
自分の体験を通じて、お母さんの愛情に気付いてゆかれるふさえさんのお話に、
どうしても涙が止まらないのですよ。。。

そんなわけで、
金子みすず記念館でも、たっぷり泣いてきました。。。。

母の愛、肉親の愛は、
本当はいつでも傍にあって、気付く瞬間を待っていて、
その瞬間がくれば、いつでも時空を越えて分かり合えるのかもしれないな、
と、
そう思います。


金子みすずさんの最期のお話は、とても哀しいのですが、
彼女の詩は、とても素直で軽やかで深いものが多いです。

私が好きな詩は こちら

わたしと小鳥とすずと

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。



金子文英堂にあった招き猫 にゃぁ~
みすずさんのご実家の書店にいた招き猫

みすずさんのお部屋(再現)
金子みすずさんのお部屋(再現)

写真に撮るとみすずさんの顔が浮かび上がる不思議な壁(肉眼で見ても見えないんですよ)
写真を撮ると浮かび上がる~










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【2010/04/18 20:30】 | 日記
|

知らなかったです
きらりん☆
...,号泣です。
私もみすずさんの本を宝物のように思って持っているのですが、自殺という以外、亡くなった理由を知りませんでした。
えーーん。母としてせつないよう。

娘さんは失ったものが大きかったですが、愛されたことが分かって幸せに思えたのですね。

Re: 知らなかったです
さちえる☆彡
v-254きらりん☆さん

> ...,号泣です。
> 私もみすずさんの本を宝物のように思って持っているのですが、自殺という以外、亡くなった理由を知りませんでした。
> えーーん。母としてせつないよう。

号泣でしょ~v-406
ほんと、母としてせつない・・・・
だけど、記念館には、旦那さんの悪口は全くと言っていいほどなかったよ~。
そこが、みすずさんと残された家族の方たちのまた凄いところだと思いました。

> 娘さんは失ったものが大きかったですが、愛されたことが分かって幸せに思えたのですね。

みすずさんももちろんそうだろうけど、
残った家族が全力でふうちゃんを守り育てたのだろうと感じました。

機会があったら、是非、立ち寄ってみてね。
みすずさんの純粋さや強さや優しさをいっぱい感じられるから。



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知らなかったです
...,号泣です。
私もみすずさんの本を宝物のように思って持っているのですが、自殺という以外、亡くなった理由を知りませんでした。
えーーん。母としてせつないよう。

娘さんは失ったものが大きかったですが、愛されたことが分かって幸せに思えたのですね。
2010/04/20(Tue) 16:43 | URL  | きらりん☆ #-[ 編集]
Re: 知らなかったです
v-254きらりん☆さん

> ...,号泣です。
> 私もみすずさんの本を宝物のように思って持っているのですが、自殺という以外、亡くなった理由を知りませんでした。
> えーーん。母としてせつないよう。

号泣でしょ~v-406
ほんと、母としてせつない・・・・
だけど、記念館には、旦那さんの悪口は全くと言っていいほどなかったよ~。
そこが、みすずさんと残された家族の方たちのまた凄いところだと思いました。

> 娘さんは失ったものが大きかったですが、愛されたことが分かって幸せに思えたのですね。

みすずさんももちろんそうだろうけど、
残った家族が全力でふうちゃんを守り育てたのだろうと感じました。

機会があったら、是非、立ち寄ってみてね。
みすずさんの純粋さや強さや優しさをいっぱい感じられるから。

2010/04/21(Wed) 12:52 | URL  | さちえる☆彡 #-[ 編集]
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